ザ・ワークス Vol.42 ナノクリスタルコート

製品開発の壁を乗り越え、独創的技術として評価されて受賞した「光設計大賞」。

ステッパーに適用されたナノ粒子膜を、カメラレンズに応用するきっかけは何だったのでしょうか?

田中 「ステッパーのレンズコートの開発が一段落して、交換レンズの設計部門に異動になってまもなく、コーティングのエンジニアたちと飲む機会がありまして、素直に「ナノ粒子膜をカメラのレンズに使ってみたい」と話を持ちかけたのです。すると当然のように「そんな無茶な、できるわけがない」と即答されました。というのも、超精密なステッパーの技術を、民生用の機械の大量生産に応用できるわけがないと。もっともですよね。また民生品として生産するには強度アップが必要でした。ナノ粒子膜を透水性の良い舗装道路に例えましたが、当時のナノ粒子膜は、現在のナノクリスタルコートの強度に比べると、車が通れば轍ができてしまう砂利道のような感じ。だったら車が通っても簡単に轍ができないような強度にしたら、カメラのレンズにも使えるのではないかと。」

粒の構造に利点があるなら、そのまま強度を上げてしまえばいいということですね?

村田 「その通りです。実は田中と飲んでいたのが私の上司でした。私も写真が好きですので、そういうのがあったらいいなとは思っていました。上司を通じて田中の構想を聞いたときは、共感する部分がありました。ただし、我々もコーティングのプロですから、レンズの性能が上がることは予測できますが、同時に工業製品として製品化するまでのハードルの高さも予測できます。ただ、いくつかのポイントさえクリアできれば、実現できるかもしれないと思いました。」

田中 「私も昔からカメラが趣味で、赤いゴーストが出やすく気になるレンズが一本ありました。そこで村田にかなり無理を言って、“このレンズにコートをつけて” とお願いしたのです。特にゴーストが出やすい2面にコーティングして、実際に撮影したら、目立っていた赤いゴーストが薄く青くなって、ほとんど目立たなくなっていた。“これはすごい!”と、上司に報告したところ、上司が製造部門など関係部署に“これはすごいことだ”と宣伝して回ったのです」

まさにブレークスルーの瞬間ですね。試作までにはかなりの時間を要したのですか?

村田 「時間を要するのは試作よりも、小さなテストピースで行う基礎実験ですね。この積み重ねによって基本技術として確立したら、適用して組み上げるまでは意外に早いです。基礎実験の段階で仮説を検証し、なるべく回り道をしなかったことで、ハイテク技術としては異例の速さで適用できたと思います。」

田中 「すぐに試作ができたのは、ニコンが光学メーカーとして素材や基礎開発、生産のノウハウをすでに財産として持っていたことが大きいですね。他社が真似できない、圧倒的な差になっていると思います。」

村田 「2004年にドイツで開催された映像総合見本市『Photokina』へ見本品を展示し、薄膜コーティング部門として初めて参加させていただきましたが、競合他社の方が食い入るように見ていました。同年の日本光学会・光設計研究グループ主催の“光設計大賞” では大賞を受賞。実は、光学薄膜が大賞を受賞するのはこれが初めてです。従来技術を大きく超える性能の向上を果たしたことと、実際に製品適用できたことが大賞受賞に大きく評価されたようです。」

最高の性能を追求するこだわりと失敗を恐れない心意気と。

実写データを比較しながらナノクリスタルコートの優れた
効果を語る開発者の二人。

世界が注目した製品化としてのデビューは?

田中 「2005年に発売されたAF-S VR Nikkor ED 300mm F2.8G(IF)です。このとき初めて“ナノクリスタルコート”としてのブランド名ができました。ナノクリスタルコートの効果は、広角レンズの方が実感しやすいのですが、製品の発売のタイミングとして合ったのがサンニッパでした。今回、発売された世界初の超広角ズームレンズAF-S NIKKOR 14-24mm F2.8G EDは、一番前にあるレンズの凹面にナノクリスタルコートを施しています。ぜひ実感していただきたいですね。」

村田 「サンプルで見比べると、一般的なコートレンズは、曲率の大きいレンズの周辺部部分ほど赤く反射しているのがわかります。これが赤いゴーストの原因となります。AF-S NIKKOR 14-24mm F2.8G EDに採用したナノクリスタルコートを施しているレンズは、大きな色の偏りがなく、反射の色が薄い青色のままです。また、補足をさせていただくと、ナノクリスタルコートは、広角系でないと効果がないということではありません。斜めの光が入りやすい広角系の方がより効果が大きいということです。従来のコート技術よりも反射率を下げることができるので、望遠レンズでも標準レンズでも充分に効果が得られます。」

14-24mmの「N」マークが一層、輝いて見えますね。コーティング技術がブランドになるのはとても珍しいことではないでしょうか?

村田 「コーティング技術では、ドイツ・ツァイス社のT*コーティングが有名ですが、ナノクリスタルコートほど、独創的かつ性能が高い薄膜技術は、世界でたった一つだと自負しています。ブランドになるべく力を持った技術の開発者として非常に嬉しいですね。」

今回の開発で、お二人の「ものづくり」の情熱とは、何だったと思いますか?

村田 「開発者として“最高の性能”を追求することにはこだわりがあります。ナノクリスタルコートの開発にしても、他では真似できない性能を実現したいという強い思いがありました。興味があるものに対して、いかに高いモチベーションを維持できるかが重要だと思います。あと、仕事や職場は楽しくなければならないということ。案外、無駄かもしれないと思うことから、開発のアイデアが飛び出すこともがあるものです。」

田中 「仕事が楽しいという意味では、新宿御苑に行って試作機で撮影したときは、本当に楽しかった。テスト用にゴーストを撮影するたびに“お!出た、出た!”って拍手して、コーティングしたレンズに付け替えて“お!ゴーストが本当に見えないぞ”ってまた拍手して。いい大人の男が三人で。」

村田 「そうですね。職場の環境に恵まれたことと、それ以上に自分の性格もこの仕事に向いていたのかもしれません。私はディテールにこだわる性格なので、気になることは解決しなければいけないと思う。」

田中 「私はまったく逆。8割方良ければOK。120%気遣う村田と組めば200%のパフォーマンスです。エンジニアというよりも私が上司として心掛けているのが、部下が失敗しても叱らず、むしろ褒めるほうにしていること。「(失敗することで)よく気づいてくれた。いま気づかなければもっと大変なことになった」と。世の中には陽の目を見なかった技術が星の数ほどあって、脚光を浴びる画期的な技術も、実はそうした失敗の上に成り立っているものです。開発者を打者に例えるなら打率は低くてもいい。三振かホームランのどちらかでいいから、失敗を恐れず、思い切って振っていけと。」

今回は、ありがとうございました。

画面内に太陽がある影響で、従来のマルチコート(写真左)では画面左下に青っぽいゴーストが現れているが、ナノクリスタルコート(写真右)ではほとんど気にならない。