建築写真の善し悪しによって 建築家の評価が決まることもある

- 撮影:阿野太一 2003年
「T.C(La Chiara表参道)」
北山さんの仕事は、
フォトグラファー阿野太一さんに
頼むことが多いとか。
「彼は僕も予想しなかった、
思いがけない場所を
見つけて撮ってくれる。
それがいい建築写真家だと思います」
建築と写真の関係のひとつに、「建築写真」というジャンルがあると思います。ひとつ疑問なのが、建築雑誌に載っている写真を見ただけで、その建築を評価してもよいのかということです。写真として優れているとしても、それが実際に建築として優れているのとは別なのではないかと思うのですが。
たしかにその通りです。写真を見て素晴らしくても、実際に行ってみたら何だこれはっていう建築は結構あります。20世紀に入ってからは特に、フォトジェニックな建築、ようするに写真に写ってかっこいい建築がもてはやされるようになりました。
それが建築をダメにする可能性は十分にあるんです。建築というのは身体がそこに入って形成されるものです。でもビジュアルとしていい建築が雑誌に載って有名になることで、建築家たちはそういうものを作ろうとするようになりました。建築はいい写真を追求するのではなく、いい空間を作るものです。でも、写真によって建築のその大事な部分が欠けてしまった。そういう意味で、僕は20世紀の建築は一度ダメになってしまったと思っています。
20世紀は、写真で完結してしまう建築が多く建ったということでしょうか。
ええ、特に20世紀後半は、写真でOK、実際に行かなくてもいいという建築が大量に作られた時代だったと思います。ですがこれからまた、実際にそこに行って身体を入れてみないとわからない建築に価値が出てくると思います。やっぱりその場に行かないとダメなんだという。
フォトグラファーの側に立つと、実際の建築よりも写真が魅力的だというのは評価にあたいしますよね。
実際の建築はどうあれ、そこへ行ってみたいと思わせる写真が撮れるならば、それは腕がいいフォトグラファーでしょうね。以前、オランダのミュージアムの写真を撮ったフォトグラファーがいて、その写真が素晴らしかったんです。撮った本人からもこれは実際に見に行かないとダメだと言われて、駅からさらにタクシーを乗り継いで行くような遠い所までわざわざ見にいったんですよ。でも行ってみたら、5分もしないうちに、「さて帰ろうか」って(笑)。ようするにそのフォトグラファーは、自分の撮った写真がいかに価値があるかということを言いたかったんでしょうね。
建築家としては、そのように建築の良さ以上に撮ってもらうのがいいのでしょうか、それともありのままを伝えてもらいたいものなのでしょうか。
それはやはり、そのもの以上に撮ってもらったほうが嬉しいですよ。
矛盾しているようですが、結局、建築というのは写真のメディアに乗って評価されるものなんです。すごくかっこいい写真が撮れても変な写真が撮れても、その写真を通して、これが私の作った建築だと世界中に発信されるんです。実際の空間がどうというのではなく、写真の善し悪しで建築家の評価が決まってくるんです。実力は写真で評価される、今はそういう時代なんです。でも、それはひとつの事実としてある世界で、その世界を否定する必要もないし、それはそれでいいと思っています。
実際に建築を体感したい人は出かけて行けばいい、という。
そうそう。建築というのは体感する部分と、写真などの2次元のメディアで見る部分の両方の側面を持っているんですね。
建築は誰でも、世界中の人がその空間に入って感じることができます。そういう意味では共通言語として誰にでも公平で、ユニバーサルなものだと思っています。だから、世界中の人がこの空間を体験したいと思ってくれるような写真を撮ることも重要なんです。
建築は主役ではない 使う人が主役になれる最高の舞台を作ることが仕事
設計をするときに重要なことはなんですか?
現実的なことを言うと、お金を出すクライアントにしっかりと説明をして、納得していただけたものを作っていかなければいけません。今の日本で手に入る材料と、出来る技術、そういうものを把握しながら、いつもクライアントに説明できるように、いつも理屈を考えて設計を進めていくことが重要です。
理屈ですか。
理屈です。この材料は値段がいくらかかって強度はこれくらい、だけどこれをこの空間に使うとこんないいことがあるからどうですかという、そういう説明ができるかどうか。説明できないことはやってはいけないんです。
建築家の欲求を自由に反映できるものではないんですね。
できませんよ。だって建築家はアーティストではありませんから。アーティストは自分の欲求を満たすために自由に作品を作りますが、建築家はそうはいきません。クライアントだけでなく社会に対しても説明しないといけないんです。建築はこの地球の地面の上に建てるものです。建ってしまえばいやおうなしに社会に公開されてしまうんです。だから、社会性を忘れてはいけないし、社会の枠組みの中で作っているんだということを自覚しないといけません。ただきれいなものを作りたいとか、目立つものを作りたいではダメなんです。
では、建築家の喜びとはどのようなところにあるのでしょうか?
舞台に立つアクター、アクトレスが主役だとしたら、僕たちはその舞台を作ることが仕事だと思っています。舞台が目立ってもしょうがないんです。それよりも使いやすいもの、演じる人が演じやすいものを作ることが喜びなんですね。生活する人が生活しやすいとか、ここにいてよかったなと思えるようなものが作れたら、それがプロとして最高の仕事なんです。
たとえば住宅は、住む人がクライアントであり主役になるんですね。
そうです。家はお住まいになる方のものですから。主役の要求をできる限り形にしていくのが役目です。
公共の建物に関しては、誰がクライアントになるのですか?
公共物によっては、発注者と監理する人が違ってきます。たとえば学校だったら文部省が発注して、学校の先生が建築に注文をつけたり、病院だったら発注は地方自治体で、お医者さんが意見を言う場合もあります。
ただ、一番大事なのは、この場合主役になるのは発注者でも意見をする人でも管理する人でもないんです。学校だったら生徒たち、病院だったら患者さんが主役になるんです。発注者の言うことを聞いていれば、一番スムーズに設計は進むでしょう。でも主役の立場に立って設計を進めると、発注者とは対立してしまう場合が多くなります。ですがそこで対立してでも、主役のため、生徒や患者のための空間を考え抜かないといけません。それが建築家にとって、忘れてはいけない大事な部分だと思います。
使う人の想像力を沸き立たせるような 自由な空間を作っていきたい

- 進行中プロジェクト、映画館の建設現場写真。
施工途中の写真はデジタルカメラで撮り管理する。
毎回膨大な枚数になるという
僕は汎用性のある建築を作ろうと考えています。人間は知らず知らず空間からいろいろな制御、コントロールを受けています。そのコントロールをどうすればいいかと考えたときに、もっと自由な感覚を持ってもらえたらと思うんです。たとえば、こう生活してくださいというのではなく、生活は自分で自由に組み立てていいんだというような、ユーザーに想像力を沸き立たせるような空間を作っていきたいんです。そしてやはり最終的には、自由で、そしてここにいてよかったと思える、そういう空間を作りたいんです。
建築ではそれをどう表現していくのでしょうか?
たとえば僕は授業でよく、前に立って話すのを止めるんです。教卓から降りて、途中から後ろに立って授業をするんです。学生は大体、前に座るのを嫌って後ろに逃げるように座るでしょ(笑)。それは、教室とは先生が前に立つ空間だという意識を植え付けられてきたからなんですね。ところが僕が後ろに行くと、その空間はガラっと変わってしまう。僕は生徒に、教室は前に先生が立って聞くと決まっているわけではない、こうやって空間は自由に変わっていくし、それによってそこにいる人に新しい関係性を提案することができるんだと言うんです。
それからもし、裁判所を円卓にして、裁判官、検事、弁護士、被告が対等に並んでいたらどうなるでしょうか。裁判の形、関係性がまったく変わってくるでしょうね。それによって裁判の概念事体が変わるかもしれない。
なるほど。建築によって、固定観念を取りのぞいたり、新しい関係性を生み出したりすることができるんですね。
はい。最近戦争の映像をよく目にするんですが、一番不幸なことは、自分の生死が自分とはまったく関係のないところで決められてしまうことだと思うんです。自分の命だけでなく、自分がどう生きるのか、どう努力していくのかを自分で決められて、そしてその努力の結果がちゃんと報われるような社会でなければいけません。そういうあたりまえのことを建築や空間で表現していきたいんです。
では最後に、今後作ってみたい、作っていきたい建築があれば教えてください。
人が集団で活動する建築をまた作りたいですね。以前小学校をやらせてもらったんですが、すごく面白かった。集団で時間を過ごす場所というのは、絶えず興味がある建築のひとつです。
それから、商業建築にも興味がありますね。バーやレストランなど、最近はあまりやっていないのでまたやりたいですね。今ちょうど、渋谷に新しくできる映画館を作っていて、それも面白いです。
たくさんの人が利用する施設ですね。
ええ。映画館の1階部分はバーになっているんです。そこは所有感覚がないようになればいいなと思っているんです。通常、ほとんどの建築は誰かのものですから、その人の思い入れだとかカラーが出てくるんですね。でもここは誰のものでもない空間になったらいいと思うんです。クライアントのものでもなく、そこに来る誰かのものでもない、そうするとすごく自由な空間になる気がします。それが最終的に、社会全体の持ち物になっていけばいいですね。
完成を楽しみにしています。今日はありがとうございました。

