芸人
木村祐一さん
キム兄やんこと木村祐一さん。
芸人として活躍する彼は独自の視点と鋭い感性を持ち、お笑い界でも偉才を放つ存在である。
そんな木村さんがライフワークとして続けているのが「写術」。自分が普通じゃないと感じたものを写真に撮り、それを独自の弁論でおもしろく説く術である。
“写真と笑い”を一体どのように融合させるのか?
その術にせまるべく、今回は「写術」についてじっくりと話をうかがった。
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「写術」とは?
自分が普通じゃないと感じたものを写真に撮り、それを独自の弁論でおもしろく説く術のこと。木村さんは写術師として毎年この形式のライブを行っており、今や写術は彼のライフワークとなっている。人とは違った視点で語るその話術に笑ったり、ときにはうなずいたりと、その才能を存分に堪能できるライブだ。ちなみに、木村さんオススメの撮影場所はJR沿線。特に大久保付近や中央線が面白いとか。写術にチャレンジしたい方は散策してみるといいかも!?
写真を撮り始めたきっかけは マンションの1階の内科医だった
写真はいつ頃から撮っていたのですか?
カメラで初めて撮ったのは小学生の頃ですね。機関車を撮ってたんです。10歳ぐらいまでSLが走ってたんですよ、山陰線に。しょっちゅう出かけてね、毎週末におやじの一眼レフカメラを借りて撮りに行ってました。
最初から一眼レフカメラで。
そうなんですよ。しかもオートではなかったですからね。もちろんシャッター速度とか絞りがどうとか技術的なことはなにもわからないから失敗もありましたよ。逆光とかいうのはあかんのやろうなとか、それぐらいで。でもフィルムを自分で入れたりピント合わせたりっていう喜びはありましたね。
SLがお好きだったんですね。
その時期だけやったんですけどね、そのときはほんま好きでした。1枚、SLをちょっと後ろから煽るような感じで、向こうむきの、石油タンクメインの写真を撮ったことがあったんですけど、それはもの凄いほめられて嬉しかった思い出がありますね。構図が素晴らしいと言われて。
でもカメラはそれから最近までずっとやってなかったんですよ。子供の頃は野球やったりとか切手集めたりだとかいろいろ趣味がありましたしね。おやじがカメラを持っていたんで興味はありましたし、ずっと身近にあったものだなっていう認識ぐらいで。
また写真を撮り始めたのは写術を始めてからですか?
そうです。僕11年前に東京に引っ越してきたんですけど、そのときに1人で何か記念のイベントをやろうみたいなことになったんです。出し物として1人しゃべりとか1人コントとかではなくて、何か違うものがやりたいなと考えてたんです。
ちょうどそのとき住んでたマンションの1階が内科のお医者さんだったんです。だからちょっとした駐車場があったんですけど、患者用のですから住人が止めたらダメなんですよ。で、ポストのところに貼り紙がしてあったんですよ。「無断駐車は注射します」て書いてある。
(笑)
まぁ、古いシャレなんですけど、医者やからしゃあないかって。それを写真に撮ったら、これは発表すべきだみたいになってきて、それがまた写真を撮り始めた一番最初ですね。
記念すべき写術の1枚目でもあったんですね。
そうですね。でもそのときはまだ全然、今の写術の形ではなくてイベントの中の20分ぐらいのコーナーで、写真も10枚、20枚見せて終わり、みたいな軽い感じで。
ただ、「注射」を見つけてから道を歩いててもなんか気になるというか、見えてくるようになったんですね。向かいの家の駐車場部分がほんのちょっと高くなってて、この段差の意味はなんやねんとか、横書きで2列に田中と中村って書いてある表札があって、上から読んでも中村と田中になる、とか。そんなんを写真に撮りためだして、もっと見せたい、お客さんももっと見たいってことになって、そのコーナーがだんだん膨らんで写術になったんですね。
写術を通して街を歩けば 裏の裏が見えてくる
写術を拝見していると、本当になんでもない風景を笑いにしてしまったり、普通に歩いていたら絶対気づかないようなところに気づけるという感性はさすがだなと思いました。
普段から周り見てつっこみながら歩いているんで、それをそのままやってるだけなんですけどね。僕はこんなん思いますねんって。まぁたしかに普通に歩いてたら気づかないことですよ。もっとよく見なさいというわけではないですけど、もっとこんなふうに見たら面白いんじゃないっていう提案ではあると思います。
1枚でシンプルに笑わせるものもあれば、けっこう長くコメントをつけるものもありますよね。
見た目ですぐわかるものはそのまま笑わせますけど、最近はその裏を考えるようになったんですよ。最初はなんでこんなことなってんねんっていう怒りとか、疑問とか、納得いかないことをつっこんでたんですけどね、逆につっこまれる側の事情というか、裏側を考えるようになって、それをまたしゃべったりするんです。
裏側?
たとえば、大通り沿いに建築中の家があったんですけど見ると玄関が横向いてるんです。車の排気ガスやらなんやらでそうしたんでしょうけど、すごく見た目が悪くて変なんですよ。それでもこうしたのは、現代交通社会にそっぽ向いたるというメッセージなのか? と。前はそれだけだったんです。でも今はさらにつっこんで、実はこの主人は本当は見栄えよく通りに向かって玄関を建てたかったんちゃうかと。ところが大工が「いやいや、ご主人これでは玄関汚れまっせ」と説得されて泣く泣くこうしたのかもわからん。ってなことを付け加えるようになったんです。
別にその家の主人に対する思いやりとかではなくてですね、1枚でいっぱいしゃべりたいっていうふうになったんですよ。そうなったときに、結局勝手な解釈なんですけど物事の表と裏を自然に考えるようになりましたね。
こうなっているのには、こんな事情があるんだぞと。
そうですね。店の看板にしてもペンキの塗り方にしても、自分でよくよく考えてやってはるんだろうなとか、ここは完璧に業者まかせでやってるなとか。それが本当にそうなのかは知らないですよ。でも、何でもそうやって考えてきましたから、今はなんとなくわかる感じはしますね。
たくさん見てきているからこそ気づくようになったこともあるんですね。
いろいろ歩き回って気づいたりね。店の暖簾とか玄関マットとか既製品のものを見ると、このあたりの地域の店は同じタイプのものを使ってるから、この業者の営業さんががんばったんやなぁとか。でも1軒だけ違うのがあったりするんです。そういうのを見ると、努力をしても、みんなが同じになるっていうのは難しいことなんだなって思ったり。人気者だって言われてても、全員が好きなわけではないし、でももちろんなってもらいたいと思うし、こういう地元の商売と一緒でがんばらなあかんねんなぁと思いますよ。
写術では「こんな狭い地域なんやからいさぎよく統一せえよ」みたいに言って笑いにするんですけど、そうやって考えさせられることもあります。


