長期に渡り撮り続けてきた写真は 自分の歩んできた人生の日記

- 船村徹作曲生活
50周年記念「追憶」
(2001年・テイチクレコード/
シングル・シングル
カセット共に1,048円+税)
作曲生活50周年を記念し、
ビートたけし氏自作詩に曲をつけ、
船村先生自らが歌っている。
奇才二人がタッグを組み、
話題となった名曲。
いつもどのようなものを撮影されているのですか?
風景がほとんどですね。たまに気が向いたり頼まれたりしますと自分のレコードのジャケットも撮ったりしますよ。歌の心象風景を表しているようなものをね。この間、ビートたけしさんと出したCDのジャケットは私が撮った線路の写真を使ったんです。ちょっと恥ずかしいですね(笑)。
人物を撮ることはありますか?
娘や弟子を撮ったりすることはあるんですけれどね、ほとんど人は撮りませんね。生まれが栃木の日光のほうなので、手近な所にたくさん大自然がありました。だから昔から風景ばかり撮っていたんですよ。今も仕事場がそっちにありますから、四季折々の日光、中禅寺湖辺りなどよく撮ります。それから僕は25、6年前ぐらいから「演歌巡礼」というのをやっているんです。東京だけにいて歌を作って歌うのではなく、日本全国方々までくまなく歩いて、地元の人たちと触れあって歌を歌う。そこでその土地の写真を撮っています。
写真を撮るためにどこかに出かけられることはあるのですか?
撮影旅行にも行きますよ。海外だとフィジー、パラオ、カリマンタン、アラスカ……比較的僻地のような所が好きなんですよ。アラスカには真冬に撮影に行ったり、山に行っても人が入らないような所に分け入って撮ったりね。
あの、50歳になるって男にとってはショックなんですよ。40歳はまだ可能性がある、60歳になってしまうともう開き直っちゃうんですけど、50歳っていうのはね、あと10年で還暦ですし、なんともいえない生々しさがあるんですよ。それで僕は50歳のときに何をしたかというと、ひとりで10日間ほどカメラを持って北海道に行ったんです。そのときも、熊が出るところだから危ないよって言われるような山の奥まで入って行って、写真を撮りましたよ。

- 撮影・船村徹さん

- 撮影・船村徹さん
50歳記念の思い出の写真ですね。
シャッターを押すたびにその音が「50だぞ、50だぞ」って(笑)、そう聞こえた気がしてね。旅の最後には花咲ガニをトランクいっぱいになるぐらい買って、ホテルに帯広の友人をたくさん呼んでカニパーティーをしました。自棄ガニです(笑)。写真を見るとそういったことを思い出しますね。写真が記録としてちゃんと残っているんですね。そういうふうに撮ってきたものっていうのは、ものすごく大事ですよ。
ご自分の手で撮り続けてきた自分自身の記録ですね。
高校からこの歳までずっとカメラを手放さずに、いろいろなものを写してきましたからね。写真が自分の歩んできた人生の日記のようになっている気がするんです。それから職業柄いつも周りに人がいますからね。そうやって節目にカメラを構えるというのは、そうすることでカメラとふたりっきりになるというか、きっと自分と向き合う時間を作っているんだと思います。
空想の世界を広げることが 歌作りのアイデアになる

- 撮影・船村徹さん
カメラの一番のおもしろさはどこだと思われますか?
目の前の自然の中から好きな一点をピックアップするおもしろさ、そしてそれが宗谷岬だろうが富士山だろうが、写真にすれば我が家のお茶の間まで持ち運んで来られちゃうでしょ。
写真であればいつでも好きなときに見ることができますね。
そう、四季折々の風景も、季節に関係なくいつでも眺められる。それから写真はね、仕事にも
役立つんですよ。歌を作るというのはね、空想や幻想の世界を思い描くということが非常にプラスになるんです。

- 撮影・船村徹さん
たとえばきれいな風景写真があるとすると、そこにこんな生い立ちでこんな状況の女性が立っている。さらにその女性が船村徹を待っていてくれる人であったらどうかな、なんていうふうにね、一枚の写真から、どんどん空想の世界ができあがってゆくんです。
写真があることで歌のイマジネーションが湧きやすくなるんですね。
そうなんです。自分で撮ったものであれば、思い入れも強くなりますしね。そこで作りあげた空想の世界から、こういう歌を作ったらいいんじゃないかなぁっていうアイデアがどんどん湧いてくるんです。
レンズを眺めて奮起したり写真からアイデアを得たり、仕事をする上でもカメラは欠かせないものなんですね。
趣味は趣味なんですが、結局はどこかで仕事とつながっているんだと思います。でも、写真集を作りませんか? とよく言われるんですが、不思議なものでね、それだけはこう(両手で守るようなポーズ)したくなっちゃうんです。これは自分の趣味道楽で、僕だけの大事なもの、というかね。
写真を本当の“仕事”にしてしまいたくない。

- 撮影・船村徹さん
そうそう。写真集にしちゃうとせっかく大事に守っていたものが大衆の面前にさらされてしまうから、それだけは嫌でね、ずっとこうして守って来たんです。
では今回は、その大事にしていた部分を少しだけ見せていただいているんですね。もしかしたらこのなかの写真からインスピレーションを得て生まれた曲もあるかもしれませんね。
ええ、ありますよ。たぶん(笑)
作曲生活52年を 支え続けてくれたカメラ

- 撮影・船村徹さん
僕は今年で作曲生活52年になったそうです。嫌になっちゃいますね(笑)。
52年というのは、ご自身では長いと感じますか?
そうですね。ここまでやって来られたのは、大好きなお酒と、それからやっぱりカメラのおかげでしょうね。
良いメロディーもそういった部分から生まれるのでしょうね。
メロディーばかり考えている作曲家は下手ですよ。テーマだったり空想だったり、何かを考えているうちに自然と出てきたものを曲にすればいいんです。それを音符ばかり追いかけているうちはたいしたものができないんです。
でも、そうすんなりとメロディーは生まれるものですか?
インスピレーション、それが出てこないうちはいくら焦ってもしょうがないでしょ。出てくるまで待てばいいんです。そのかわりインスピレーションが浮かびやすいような体勢を常に整えておかないとダメですよ。私の場合はそのための応援団としてカメラとお酒がある。
今、演歌は日本の音楽業界の中で元気がないように捉えられがちですよね。
とにかく今はテレビ、映像の時代ですよね。若い人のポップスやロックなどは見た目も派手ですし、全国区のテレビに多く露出していますからそう思われがちですが、そんなことはないんですよ。あまり露出されていないだけで、今日も明日も、大人が歌っているのは演歌。圧倒的に演歌を歌っている人の方が多いんです。
日本の歌として、演歌はこれからもずっと歌われてゆくものだと。
もちろん。演歌は日本人の血液、DNAだと思うんです。子供のころはアイドルを見て、学生になってロックや洋楽などを聞いて、結婚して子供ができて大きくなって、やはり最後には演歌を聞くのではないでしょうか。
なるほど。ではこれからも、心強い応援団と共に、日本人の心に触れる演歌を作り続けてください。
はい、命ある限り。
カメラも?
ええ、命ある限り増え続けてゆくでしょうね(笑)。
