新宿ニコンサロン 2011年12月

第36回伊奈信男賞受賞作品展
李 尚一 (Yi Sangil)

写真
光州 望月洞 (Gwangju, Mangwoldong)
11/29 (火) ~12/5 (月)
10:30~18:30(最終日は15時まで)
会期中無休

写真展内容

写真

北アフリカのリビアを42年間にわたって統治してきたカダフィは、民主化を要求する市民に銃を向ける独裁者に転落した。2011年2月には、デモ隊に向けた無差別発砲によって200人余りの死者を出した。
1980年5月18日、韓国でもリビアのような民主主義の抵抗闘争があった。武力で掌握した全斗煥政権の退陣と民主政府を要求するデモが全国的に起きたのだ。その中でも激しい闘争となった韓国の地方都市光州では、デモ隊に向けて軍部隊が発砲する事態にまでなった。
当時作者は写真家としてではなく、命令を命として従順でなければならない軍人の立場にあって、市民に銃口を向けた。
全斗煥政権は、デモ隊に向けて野蛮な発砲命令を下し、190人余りが死亡、900人余りの負傷者を出す事態となった。その犠牲者をひとところに集めたのが望月洞墓地であり、ここを作者は、84年から現在まで写真を撮り続けている。
一方的な命令を命としなければならない軍人と、祖国の民主化をめざす青年というそれぞれの立場に立っていたという理不尽な理由によって、死者の肉体的な死と、作者の精神的な死がもたらされなければならなかった。
その辛く悲しい時を、その恨みを、作者は解きたかった。その混乱とともに変化の時間が流れて、自分自身の「望月洞」という息を殺した叫びは、死者と作者の暗鬱だった時代の容赦と和合の対象だった。
望月洞に罪心を持つ一人である作者は、自責を持って生きていく痛みを作品で訴えている。
モノクロ作品。

授賞理由

第36回伊奈信男賞は、長い年月にわたって「光州事件」の現場と向かい合ってきた韓国の写真家李 尚一氏の「光州 望月洞」に決定した。
1980年5月、全羅南道の光州で軍事独裁政権からの民主化を求める市民や学生と韓国軍とが衝突し、多数の死者と犠牲者を出した事件であり、作者はこのとき歴史の現場に居た。しかもそれは、情報収集のためのカメラと銃口を市民に向ける特殊部隊の兵士としてであった。
数年後の除隊を機に、軍隊で強いられた写真を志す覚悟のもと大学に進学し、カメラを手にして光州を再訪する。以来20年にも及んで自らを問い、光州と向い合うことになるのだが、写真が発する張りつめた年月の蓄積は切実であり、圧倒されるものがある。
この間、犠牲になった人たちが葬られる望月洞墓地を何度となく訪れ、亡くなったり行方不明になった人たち全員の家を尋ね歩き、彼らの肖像写真と対面している。氏はこの間の心の裡を、激動の時代を目撃した記録者などではなかったし、さらに芸術家の本能的カタルシスではなかったと語り、一方は祖国の民主化を生命として愛す青年で、一方は命令を命としなければならない兵士という異なる立場に立っていたという理由で、それぞれに身体を殺し、精神を殺すことになった辛い恨みを晴らしたかったのだと明かしている。
写真作品への評価とともに、過酷な歴史の現実から逃れることなく光州・望月洞を撮り続けた氏の写真家としての生き方もまた称賛されてよい。

作者のプロフィール

写真

1956年韓国慶尚南道山清郡生まれ。写真家。92年慶一大学校写真映像科写真専攻卒業。95年中央大学校大学院写真学科修士卒業。2007年釜山大学校大学院芸術文化映像学科芸術学博士卒業。97~2000年大邱芸術大学校写真映像学科講師。00~03年百済芸術大学写真科専任講師。03~07年慶一大学校写真映像学科教授。現在古隠写真美術館ディレクター。
主な写真展(個展)に、87年「人間探求」(韓国大邱-大邱現代美術館)、90年「おかあさん」(韓国大邱、光州-大百ギャラリー/ナンボン美術館)、92年「温山工団」(韓国大邱-東亜美術館)、93年「望月洞」(韓国大邱、光州-東亜美術館)、「おかあさん! その名前」(韓国大邱-ソジンギャラリー)、94年「光で貰った遺産」(韓国ソウル-セムト画廊)、95年「おかあさん!」(韓国大邱、ソウル-東亜美術館/ヌンギャラリー)、98年「人間と環境」(韓国大田-大田市民会館)、2000年「イ・サンイルの望月洞」(韓国全州-全北芸術会館)、2002年「Mementomory」(韓国ソウル-HOW ART ギャラリー)、03年・04年「記憶の鏡(戦争シリーズ)」(韓国釜山-栄光ギャラリー)、05年「同」(韓国蔚山-蔚山市北区文化会館)、09年「クラシックでの招待-望月洞」(韓国ソウル-Mギャラリー)、「東江国際写真祭 写真賞受賞展」(韓国江原道-寧越学生体育館)、「古隠写真美術館 企画招待展」(韓国釜山-古隠写真美術館)などがあり、ほかにグループ展多数。
主な著作に、94年『光で貰った遺産』(ドドゥ出版社)、『明るい部屋』Vol.5(ヨルファダン出版社)、95年『おかあさん』(写真集・思考の海出版社)、2000年『李尚一の望月洞』(光州ビエンナーレ財団)、02年『Memento Mori』(サムキョン出版社)、『シン・キョンギュンの生と器』(図書出版デザインファクトリー)、03年『図鑑展』(図書出版プルンセサン)、08年『芸術でめし食う人々』(図書出版ヌンピッ)、09年『イ・サンイル写真集』(東江国際写真祭運営委員会)などがある。

juna21 三木淳賞奨励賞受賞作品展
藤原 拓也

写真
スポーツ絵巻物
12/6 (火) ~12/12 (月)
10:30~18:30(最終日は15時まで)
会期中無休

写真展内容

作者はアジア各地のスポーツ競技の現場を歩いてきた。
巨大なスタジアムや体育館でプレーする選手たちの姿から、格闘技道場で体を鍛える人々、高速道路のわきの空き地、路地裏の公園などでスポーツを楽しむ住民や子どもたちなどさまざまである。
競技に夢中になっている人々のわきを、牛がのんびりと歩いて行く場面に出会ったこともあった。カンボジアのトンレサップ湖では、ボートの上に造られた移動式バレーコートで、中学生がひもをネットがわりにバレーに興じていた。
今の日本では公園でキャッチボールも自由に出来なくなってしまったが、作者は、アジアの人々にとってスポーツ競技が日常生活に深く根付いていることを実感した。アジアの各地でスポーツ競技は、人々の人生の中にとけ込んでいるのである。
日常のなかで、スポーツと出会った瞬間の作品である。カラー13点。

授賞理由

藤原氏は、アジア各地―インド、東南アジアの十数カ国―を巡って、スポーツに興ずる市民の現場を記録している。その表現の特異性は、タイトルにも示されているように巻物仕立てで、常識的な写真のフレーミングを逸脱する長大ワイド(タテ×ヨコ比 1:4~10)で捉えていることだ。カメラを起点として、ほぼ360°の画角の視野。表現の中心は、スポーツを興ずる人々と見えながら、その競技を取り巻く見物のギャラリーの表情、周辺の施設や市街が同次元に捉えられている。
そのスポーツの身体的な動きやかたちの発見以上にその背景として、それを支えている市民社会が見えてくるおもしろさがある。副次的なイメージのようではあるが、このような周辺部が丁寧に写し撮られているのが、この作品の核となっている。
スタジアム、競技場という空間でなく、市井の広場や路上で繰り広げられる愉しみの為のスポーツ、その周辺の情景を捉えた視点が、現在のアジアの現在をよく現している。スポーツが制度化、商業化される以前の生活と隣り合わせた楽しみとしてある姿に、日本でもそんな時代を経てきた体験を思い起こさせられる。
技術的に横に繋ぎ足していく優れた撮影テクニック、パソコンでの上質なフォトレタッチ作業などが作品を上質に支えている。

作者のプロフィール

写真

1987年静岡県生まれ。高校在学中、バスケットボール部でインターハイ出場。2009年日本写真芸術専門学校のフォトフィールドワークコースに参加し、180日間でアジア10カ国を巡る。10年日本写真芸術専門学校卒業。現在はブライダル撮影会社「美光写苑」に勤務している。

小松 透

写真
nature morte -après 311-
12/13 (火) ~12/19 (月)
10:30~18:30(最終日は15時まで)
会期中無休

写真展内容

作者はここ数年、“nature morte”と題して、目には見えない人と木々の関係性を撮影しようと試みている。
今年3月11日、大地震と津波がやって来た。作者の実家、宮城の古い家も地震で倒壊した。テレビのニュースなどで故郷である宮城の惨状を目の当たりにして、どうにもできない自分があり、映像で流れる津波に飲み込まれた木々を撮りに行かなければという焦燥感にかられた。陸前高田の松原で1本だけ残った松をどうしても撮らなければと。
本作品は息子の静と一緒に車に寝泊まりして、実家と津波の被害のあった場所を巡って木々を撮影してきたものである。モノクロ30点。

作者のプロフィール

1969年宮城県生まれ。94年多摩美術大学芸術学科卒業。「STILL LIFE」をテーマに1992年より映像作品と写真作品を制作。
写真展に、95年「静かな生活」(リュ・プラス)、2009年「STILL LIFE」(Place M)、10年「various 2007-2010」(M2 gallery)などがある。

juna21 高橋 尚子

写真
景色は私に吸いつくか
12/20 (火) ~12/29 (木)
10:30~18:30(最終日は15時まで)
会期中無休

写真展内容

作者は学生の頃、冬の牧場で働いたことがあった。
たくさんの動物と人間との共同生活。作者は、子牛の哺乳の作業をまかされていた。大きな哺乳瓶で体温まで温めたミルクを与える。しかし、生まれてすぐの子牛は、それをエサと認識できず、なかなか吸ってくれない。その人工的な乳頭に、子牛が吸いついてくれるまでの数分間のやり取りの中に、どこか普遍的な関係性の法則が見てとれる気がした。カメラを手にして、そこに景色と自分があるとき、この時の感覚が再び思い起こされたのだった。カラー約40点

作者のプロフィール

1984年仙台市生まれ。ワークショップ「夜の写真学校」第16期生。
写真展に、2010年「景色は私に吸いつくか」(新宿PLACE M)などがある。
<コレクション>清里フォトアートミュージアム

年末年始休館
12/30 (金) ~1/4 (水)