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ニッコールクラブ会員展

「南の島に父は眠る」三好 栄子

撮影者プロフィール

1944年、大阪府出身。奈良読売写真クラブ会員。第54回富士フィルムフォトコンテスト自由写真部門優秀賞、第56回富士フィルムフォトコンテスト自由写真部門銅賞、JPS(日本写真家協会)公募展入選2回、全日本読売写真クラブ展優秀賞1回、入選3回、JPA公募展入選2回。

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インタビュー

写真展開催のきっかけは?

太平洋戦争で戦死した父が眠るフィリピン・レイテ島の慰霊祭を訪れたのは、昨年3月の一週間ほどです。現地での慰霊祭の写真を展示していた知人に話を聞き、毎年行われていることを初めて知りました。戦後73年が経過し遺族の高齢化が進んだ今、体力的に現地まで足を伸ばせない方も多くなりましたができるかぎり遺族にはぜひ行ってほしいと思い、まだ慰霊祭を知らない遺族の方に届けることができればと考えて、写真展を開きました。

亡くなったお父さまについて教えてください

父が機関砲隊員としてレイテ島へ出征したのは1944年、私がまだ1歳のときです。食料や弾薬が尽きる中、レイテ島のカンギポット山付近で「自活自戦、永久抗戦」と命令を受けた約2万人の将兵とともに、命を落としました。遺骨もなく、父の姿が分かるのは出征前の写真だけ。百貨店の戦争企画展で陳列されていたカンギポット山付近の土を分けてもらい、遺骨代わりに大切にしてきました。

レイテ島の印象は?

父が最期を迎えた場所へ向かうのは怖かったです。しかし実際着いてみると、現地の人びとに温かく迎えられ、驚きとともに嬉しく思いました。言葉は通じませんが、子どもも大人も、声をかけるとニコッと笑ってくれます。家畜も家族のように大事にされていました。父がこんなに優しい人びとの住む地で眠っているのだと思うと、心底「よかった」と感じました。

展示を通して伝えたいことは?

恨みからは何も生まれないということです。この戦争では、100万人以上のフィリピン人も犠牲になっています。日本は占領した側なので、その罪を責められるのではと不安でした。しかし島民たちは過去を受け入れた上で平和を願う気持ちが強く、快く私たちを受け入れてくれました。 私も彼らも、お互いに平和を願う気持ちが通じたのです。これはフィリピンに限った話ではありません。今生きている人が憎しみ合っても、平和は生まれないと考えています。

顧問講評 小林 紀晴

記憶にない父の姿を、作者は南の島に訪ねる。その旅は茫漠すぎて、つかみどころがない。それでいて確実に父の感触を得た旅となったはずだ。さまざまな人に出会っていくなかで、過去と現在が確かに繋がっていると感じさせる。だから見る者の胸を静かに打つ。